わたしの終戦記念日

祈り

私にとっての「終戦記念日」は、8月15日ではない。
それは、長い闘いの果てに、ようやく自分を許せた夜だった――。

私は常に、会社で戦っていたと思う。
誰と?それは上司や、仕事で関わるすべての人たちだ。

私はもともと勝気な性格だった。
しかし病気を患ってから、その勝気さにさらに拍車がかかった。
上司を仮想敵に見立て、いかに論破するか、いかに成果を上げて優位に立つか――そんな戦い方で働いてきた。

当然、味方はいなくなった。私は孤立した。
それでも当時の私は、孤立をはねのけるだけのエネルギーを持っていた。まるで戦車に乗り、あらゆる方向へ砲弾や機関銃を撃ち続けるように。

しかし、あるとき立ち止まった。
この生き方は本当に正しかったのだろうか、と。

私たちの周囲は敵だらけではない。
むしろ、多くは味方だったのだ。

いま私は、医療(病院・訪問看護)や福祉(グループホーム・作業所)、プロテスタント教会とつながりながら生きている。
そこでは砲弾も機関銃もいらない。
守られ、支えられ、穏やかに呼吸ができる。

むしろ、これこそが本来の生き方だったのだと気づいた。

私は、もう撃つのをやめた。

この作品の戦車も女性も、ぼろぼろだ。
それは過去の私そのものだ。
人を傷つけてしまった後悔だけが、静かに残っている。

それでも私は決めた。
もう二度と同じ過ちは繰り返さない。

これからは、戦うのではなく、穏やかに生きる。
それが私の新しい航路であり、いまの「終戦記念日」の意味なのだ。

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