
私の父は精神疾患だった。
私はそれを、もっともシンプルで、そして残酷なかたちで受け継いだ。
“遺伝”という言葉は、中学生の私にとって呪いそのものだった。
父は「悪」であり、
大人になってから発病した自分自身のことも、
やはり「悪」だとしか思えなかった。
時が流れ、父が定年を迎えるころ、
ステージⅢbの胃がんを患った。
5年の闘病の末に他界したが、
そのころ父の精神疾患は「寛解」していた。
この病において“寛解”は奇跡に近い。
闘病中の父は穏やかだった。
独学で占いを学び、
四柱推命や手相の占い師として、
ひっそりと知られた存在になっていた。
そんなある日、父はぽつりと言った。
「すまんかった。苦労をかけた。申し訳ない」
体を折り曲げ、むせ返るようにして、
その言葉を絞り出した。
私は何も言わなかった。
父は私にとって「悪」であり、
すべての元凶だったからだ。
折に触れて謝罪されたが、
私は父が絶命するまで、
一度もその言葉を受け取らなかった。
状況が変わったのは、
私が教会に通うようになったときだった。
そこにいた信徒たちは皆、
罪を赦し、赦されて生きていた。
その姿を見た瞬間、
私は愕然とした。
なんて美しい贖いの心なのだろうと。
父への感情が変わったのは、そのときだった。
なぜ私は赦さなかったのか。
赦せば、自分自身の「悪」も受け入れられたのに。
そう思えた瞬間、長い間閉じていた何かが
音を立ててほどけた。
ある日、父の墓前で私は告げた。
「あなたを赦す。
あなたの息子でよかった。
もう一度生まれ変わっても、
また自分として生まれたい」
静かに、そう報告した。
それ以来だろうか。
自分を赦せるようになると、
前向きに生きられるようになった。
リハビリとして創作を始めたのも、
深い闇の中にいた頃には考えられなかった変化だ。
赦し、赦され、
私たちは生きている。
これからも、生きていく。
ここまで読んでくれて、ありがとう。
あなたの今日の夜にも、静かな灯りがともりますように。
